あすみ
この後、時計の短針があと4回ほど回れば一つ年を取る。
いよいよ40歳。中年にさしかかる。
何の生産性もない人生。何のために生きているんだろうか。
40年も生きてきたのに、人生において何も積み上げることができなかった。
いわゆる実績解除、恋愛、結婚、出産、子育て、はたまた仕事でのキャリアアップ。
そういったものを何一つこなせなかった今、私の存在価値って何だろう。
思えば幼稚園に通う頃からずっと生きづらさを感じていて、本当に毎日つらかった。
楽しい日もあったけど、それは暗い雲に覆われた空に差し込む一瞬の光のようなもので。「しんどい」がデフォルトの日々だった。
20歳の時には、30歳の誕生日に死のうと思っていた。
でもできなくて、結局ずるずるとその後10年間生きてしまった。
生きようと決めた分、少しは成長するかと思いきや、むしろこの10年は退化の日々だったように思う。落ちた忍耐力により貯金はあっさりなくなり、保身や恐怖から逃げるための嘘を平気でつくようになり、自分への信頼や自己肯定感はどんどん地に落ちていった。
39歳の今、残されたのは中途半端に高いプライドと醜い容姿、おぞましい卑屈な性格。
悲しくて涙と笑いが出ちゃうよ。
苦しい。何をしていてもこの先の未来が絶望しか見えてこない。
どうしてこんな風になってしまったんだろう。
30歳のとき、未来を変えようと思って生きる選択をしたのに。
どうしてだろうなあ。本当にみじめ。
もうこの先わたし生きていける自信がないよ。自分の顔を見るたびに醜くて辛くなる。
そりゃ悪いのは自分だけど誰かのせいにしたい。何もしたくない。消えたい。
本当は死にたくないよ。幸せになりたいよ。でも私のこのダメな頭では何も思いつかない。
お父さん お母さん
こんな人間になってしまって本当にごめんなさい。
兄弟へ
こんな私でごめんね。恥ずかしい兄弟で本当にごめんなさい。
自分へ
たくさん傷つけてしまってごめんなさい。本当にごめんなさい。
愛愛柑
絵の具が綺麗に混ざらない。
他の人は美しい色になるのに私が混ぜると汚い色になってしまう。
一生懸命やってるつもりなんだけど。
憂鬱と諦めの混じった感情のもと起床する。
今朝も一人。これからもきっと一人。
いつから私の人生はこうなんだろうか。
冷房の効いた部屋。暖かい珈琲。バナナ。
YouTubeの占いを見てほんの少しだけ上がる自己肯定感を武器に今日も一日を送る。
小さい頃の私によれば、
すでに小学生くらいの子供がいて、仕事に家事にあくせくしながら、
それでも幸せに暮らす家庭が目の前にあるはずなんだ。それなのに。
いや、それも本当に夢見たわけじゃない。
小学校で将来の夢を書く授業があった。私は全く思いつかなかった。
刻々と締め切りの時間が迫る中、焦った私は、
前の席に座る女の子のプリントを盗み見て「ケーキ屋さん」と一言記入した。
適当な理由をその場ででっちあげ、終わらせた。
昔から「どうしてもこれがしたい」「どうしてもこれがほしい」といったような気持ちが全くない。
自分が欲しいものをほかの人が欲しいと言ってくれば、譲ってしまうし、
あなたがしたいことを言ってと言われても自分に合わせてもらうのがなんだか申し訳なくてうまく伝えられなかった。今でもそうだ。
YouTubeの占い動画はこぞって奇跡が起きる、あなたは素晴らしい、これから変化起きる、最高の運勢になる、と私をほめそやす。
そうならいいなあ、と珈琲の苦みに顔をしかめながら今日も一日がはじまっていく。
静かな水の底から
信頼できる人に、どういう形でもよいから自分の内面をさらけ出したほうがいいと言われたので、世界の隅っこでひっそりとブログを書くことにした。誰も読まないだろうけどこれまでずっと親にも、信頼できる人にも、誰にも言えなかった私の膿をこれからみっともなくさらけ出していこうと思う。